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加藤 宇助

瀬戸赤津窯の陶工、加藤 宇助は、大正4年(1915)、20代宇三郎の子として生まれる。先
祖は、瀬戸の陶祖、加藤景正第2世藤四郎基通の次男、景長藤左衛門を初代とし、17代景
徳甚蔵の子より、宇助(介)を名乗る。茶器製品には、古瀬戸、瀬戸黒、志野、織部などがあり
古作まぎれるほど素晴らしい名品が多い。 宇助の作品には、銘款に「う」の彫銘がある。作
歴:文部省文化財保護委員会委嘱制作、日本各地で個展、アメリカ・ロスアンゼルス展、チェコ
スロバキアには永久保存作品があるほど高い評価されている。                  

加藤 宇助は 非凡な才能を持ち、瀬戸 随一の名工であるがゆえに、鎌倉時代の模造品製
作の依頼が多かった。永仁の壷が偽作であることがはっきりすると同時に、宇助は、一躍脚光
を浴び、大阪、東京のデパートで、模造品作りやロクロの実演会に招かれた。『永仁の壷』の
模造品は、瀬戸の陶工が挙って製作し、全国でコレクションされている。中でも、宇助製作の
『永仁の壷』は、鎌倉時代の古作と倣う作品である。

下記は、昭和48年2月発行の『太陽』で、『豪快なろくろさばきをみせる赤津の陶工 加藤 宇
助氏。その名人芸で名高い瀬戸黒の茶碗はなかったが無造作に並ぶつぼは、博物館に入っ
たような錯覚を起こさせる』と紹介されている。


写真『太陽 たぬきと土管と屋根かわらより』

加藤 宇助 『永仁の壷事件』以後、時代の渦に呑み込まれ、波乱万丈の人生を送る。
昭和56年(1981)65歳にて没す。

加藤 宇助の、ひとつ一つの作品には、 きまじめで、まっすぐな陶器への思いが込め
られたとても、素晴らしい名品ばかりで、今後、高い評価を得られるべきである。

私は、加藤 宇助の生き様から、
小椋佳さん作詞、堀内孝雄さんが歌った『愛しき日々』を一節を思い出す。

きまじめすぎた まっすぐな愛
不器用者と 笑いますか
もう少し 時が たおやかに過ぎたなら・・・・・・・

織部茶碗/加藤 宇助作








永仁の壷:加藤 宇助作

加藤 宇助作『永仁の壷』に魅了され、現在、3つの『永仁の壷』を所有している。どの壷も、釉
薬の流れが素晴らい名品である。今後、宇助の作品は、時代の流れと共に、高く評価をさ  
れ、段々と手に入らなくなりそうだ。                                   


 






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